
2015年03月31日
2015年03月26日
売れないアニメ監督シリーズ
2015年03月24日
ガンとオチカズキになること-3

元気であるのは良いのだが、ノドが圧迫されていて飯が食えないのと、声がでないまま一ヶ月も治療なしでは困る。 患者のことなど考えているとはおもえないのである。
早いとこ私としては放射線治療だけでもしてもらって飯を食いたいのである。
一時的にだとしても放射線治療で圧迫が取れるというのはどの医師に聞いても同様だからだ。
担当の医師はどうしても抗がん剤と同時にやりたいらしい。
私は時々気持ちが折れそうになる。 なんに折れそうになるかといえば、ガンに折れそうなのではなく、死の恐怖に折れそうなのでもない。
担当医師と議論が出来にくいことに気がおれそうなのである。
4-に続く
2015年03月18日
2015年03月15日
食道ガンとオチカズキになる事-2
そう、声が出なくなった。 水をむせるようになった。
の続きである。
かかりつけの医者に行くと「半夏厚朴湯」を出してもらい、「食道がんでいきなり声が出なくなるなんてことはないと思うけど、そういうのでステロイドを点滴しなければいけないのもあるから念のため耳鼻科で内視鏡で見てもらいなさい」と言われて見てもらった。 声帯には炎症が無いようだが動いていない、紹介状を書きますから病院で検査を・・・というわけで、埼玉病院へ行く。
CTを撮って血液検査をして耳鼻科へ、「多分食道ガンらしいものがありますが・・・そちらは内科で、耳鼻科的には甲状腺が気になるので来週組織を取って検査しましょう」・・・というわけで、翌日内科へ。
担当は比較的かわいい女医さんだ。
「食道の壁が厚くなっていて外側にも少し」・・・と、「経験からしていかにも悪性らしい」
いろいろ話をしているうちにあちこちに転移している可能性もありそうな雰囲気で「覚悟しておいた方がよろしいか?」というと少し肯定的な態度である。
更に全身のCTも撮り、胃カメラも飲み、詳しい血液検査と、組織検査などして2週間が過ぎる。
食道のはやはり悪性だった。
常駐のおじさんの医師に担当が変わり、希望の持てそうなことはなにも言わない。
ひょっとして全身に転移しているかも知れない、というようなことを言う。
「判った、判った、覚悟はしといたよ、でもこんなに元気なんだからあと10年は生きる予定にしておく」・・・というような気持でいた。
「さて、あと10年で何ができるか、明日はこれとあれをやって・・・」などと思いつつ、日々を過ごすうちに、甲状腺は大丈夫、胃も腸も肺も、その他諸々もすっかり健康であるらしい。
食道がんは外に転移していて、気管に接しているので19日に内視鏡で検査の予定である。
よくよく考えてみたら、ずいぶん前から胸のあたりの癌の感触っていうものがあったような気がするのである。 思い起こすと、母親が「のどが詰まる」と言っていた。 きっと食道がんだったのではないだろうか。
甲状腺、その他の結果からみると人々が心配するキノコのせいではなく、遺伝と酒のせいだろうと思われる。
それにしても私の体内のマクロファージやらNK細胞やらの諸君は、ずいぶんと頼もしい奴らだったのだと思ったのである。
の続きである。
かかりつけの医者に行くと「半夏厚朴湯」を出してもらい、「食道がんでいきなり声が出なくなるなんてことはないと思うけど、そういうのでステロイドを点滴しなければいけないのもあるから念のため耳鼻科で内視鏡で見てもらいなさい」と言われて見てもらった。 声帯には炎症が無いようだが動いていない、紹介状を書きますから病院で検査を・・・というわけで、埼玉病院へ行く。
CTを撮って血液検査をして耳鼻科へ、「多分食道ガンらしいものがありますが・・・そちらは内科で、耳鼻科的には甲状腺が気になるので来週組織を取って検査しましょう」・・・というわけで、翌日内科へ。
担当は比較的かわいい女医さんだ。
「食道の壁が厚くなっていて外側にも少し」・・・と、「経験からしていかにも悪性らしい」
いろいろ話をしているうちにあちこちに転移している可能性もありそうな雰囲気で「覚悟しておいた方がよろしいか?」というと少し肯定的な態度である。
更に全身のCTも撮り、胃カメラも飲み、詳しい血液検査と、組織検査などして2週間が過ぎる。
食道のはやはり悪性だった。
常駐のおじさんの医師に担当が変わり、希望の持てそうなことはなにも言わない。
ひょっとして全身に転移しているかも知れない、というようなことを言う。
「判った、判った、覚悟はしといたよ、でもこんなに元気なんだからあと10年は生きる予定にしておく」・・・というような気持でいた。
「さて、あと10年で何ができるか、明日はこれとあれをやって・・・」などと思いつつ、日々を過ごすうちに、甲状腺は大丈夫、胃も腸も肺も、その他諸々もすっかり健康であるらしい。
食道がんは外に転移していて、気管に接しているので19日に内視鏡で検査の予定である。
よくよく考えてみたら、ずいぶん前から胸のあたりの癌の感触っていうものがあったような気がするのである。 思い起こすと、母親が「のどが詰まる」と言っていた。 きっと食道がんだったのではないだろうか。
甲状腺、その他の結果からみると人々が心配するキノコのせいではなく、遺伝と酒のせいだろうと思われる。
それにしても私の体内のマクロファージやらNK細胞やらの諸君は、ずいぶんと頼もしい奴らだったのだと思ったのである。
2015年03月14日
「食道ガン」とオチカズキになる事
「商人が船乗りに向かって、お前のおやじは何で死んだかと尋ねたら、船乗りが、父も祖父も曽祖父もみんな海で死んだと答えた。商人が驚いて、それでもお前は海に出るのが怖くないかと聞くと、今度は船乗りの方で、お前のおやじや祖父さんや曽祖父は、どこで亡くなったかのかと問い返した。そこで商人が、みんなベッドの上で死んださと答えたら、船乗りはびっくりして、それでもお前さんは、ベッドに寝るのが怖くないかと云った。」百鬼園先生幻想録 内田百閨@より。
ある日いつものようにスカッシュの練習を、少しだけハードにしていた時のことだ。
「のどが渇いてひっつくなあ」と思いながらも、もう少し続けようと、ひと段落するまで続けてコートの外に出ると、声が出なくなっていた。
水を補給すると出るかと思い、水を飲むとやけにむせるのだった。
「さてどうしたのだろう?」と思った。
ある日いつものようにスカッシュの練習を、少しだけハードにしていた時のことだ。
「のどが渇いてひっつくなあ」と思いながらも、もう少し続けようと、ひと段落するまで続けてコートの外に出ると、声が出なくなっていた。
水を補給すると出るかと思い、水を飲むとやけにむせるのだった。
「さてどうしたのだろう?」と思った。
2015年03月06日
ガン



4日目には私の食道を通過して胃の中に納まった。
胃の中に納まった写真は撮影できなかった。
代わりに胃カメラを飲んだ。
胃はなんでもなく、
早い話が食道癌だった。
だから皆さんへ。
3月のバーーベキューは延期にして、夏のフレンチで再び会う事にしましょう。
私は極めて元気なので心配には及ばない。
暫し放射線治療などの必要から、埼玉病院が行きつけの店になる予定である。
少し語り口を童話ファンタジー風に変え・・・
私は、このほど、サー.ナゾーリンゲン博士のご助力により、緩き禁酒法同盟の赤き超新星である、アルカポネールの天敵たる、エリオット男爵の発案によるところの、謎の権威ない、「ガンと闘う売れないアニメ監督」というけっこうな称号を拝領する次第となった。
次回「食道ガン」へと続く。