2011年12月01日

死について考える

nozarashi.gifお騒がせするが私の死が近づいていると言う意味では無い。
勿論近づいているには相違ないが、同年代のポチのファンさんの同意を得たいのだが特別健康上の理由が有るわけではなくさほど遠いとは言えないおとしごろだからそろそろ覚悟はし始めている年である。   かといって百歳以上生きる意志はおおいにあるし出来ればやるべき事をできるだけ沢山やり終えてから死にたいと思うから願望としてはできるだけ長生きをしたいと思っている。


・・・同意を得たところでなぜこんな記事を書いているのかというとなんとなくテレビを見ていたらオランダだか何処だったか、とにかく子供の幸福度が世界一の国の少年の悩みの話しになった。

その少年曰く「死ぬのが恐い」という。 その言葉に周りは驚いていたが、子供の頃というのは死ぬのがより恐くなければ困る。 というか子供が死ぬのが恐くなければ人類はとっくに滅びていた事だろうと思うのである。
そう言えば私も、母親と墓参りをした時に急に死が恐くなったのを思い出した。
墓の前で小さな頃の私は「死ぬのが恐い」と確かに言った。  母親は「誰でも恐いんだよ」と言った。  その時は母親のその言葉に慰められた憶えはまったくなく死を考える度に無の恐怖、意識が無限の暗黒に飲み込まれるのを恐れたものだった。 以前書いた無限のピアノ線地獄というのもあったが、そちらは無限を無限に辿り続ける事への恐怖である。 どちらもとても恐かったのを憶えている。

この歳になって感じるのは子供の頃の死への恐怖は遺伝子が怖がっている感があり、年をとってから死が恐いと思うのは何かを成し遂げる為の時間の足りなさに対しての比較的贅沢な怖さであるような気がする。

だから年をとるごとに死への恐怖は温度が低くなるような気がするのは私だけではないだろうと思っている。  「やるだけやったし疲れたから永遠に休もうか」などと言って死ぬのならベストだけれど大方「やっぱりダメだったか、そろそろお迎えが来てしまった」と思って死ぬのが一般的で極めてノーマルな事なのだろうと思う。
そんな予想が親父の生涯をなんとなくコピーしているような気がして落ち着くのである。


posted by 敏文 at 03:12| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
こら。
ま、同年代には違いありませんが、3つか4つ下です。し、た。

ま、そんなことは置いといて…
同意を得たいとおっしゃいますが、『勿論〜年である。』の間に「、」がないのでちょっと迷いました。
タイトル「死について考える」については、同感です。
アタリマエのことですね。

自分の人生をどう生きるかを考える時、どう生きてきたか、と、どう終えるか、も重要な要素だと思います。
どう終えたいかという希望と、現実の終わりへの不安とが、私にもだんだんと身近になってきています。
近い将来必ず起こることですから、考えておいたほうがいいと…何も考えず覚悟もせずにいて、みっともなく終えたくないという程度にはプライドもあります。


『センチメンタル』での世代間のやり取りを拝見していると、オジサマの悲哀は見事にスルーされていて、それはそれで面白かったです。
監督のご職業から、比較的若い世代の人に何かを伝えてこられたことを思うと、伝わらないもどかしさを感じられるのもセンチメンタルの一種でしょうね。


同意、こんなもんでいかがでしょうか?

ポチコも、相変わらず丸ごとキャベツをかじっている様子…冬のキャベツは甘くて美味しいですもんね。
隙をねらってつまみ食いなんて、元気な証拠(笑)
Posted by ぽちのファン at 2011年12月01日 10:28
「死」は確かに怖いですね。

あくまで私の場合ですが、
子供の頃は正体のよくわからない「死」に対して、ストレートに怖がっていたような気がします。

それが、年を取るにつれ、自分の死を想像したりするうちに、「死」を身近に引き寄せて、そのくせ直視するのをさけるようになっています。

自分の「生」についての態度は、「真摯さ」からは程遠く、どこまでも「甘い」ということなのでしょう。

ところで今年も残す所あとわずか。
今年もこちらに通わせていただいて、いろいろ考えさせられ、楽しませていただきました。

ありがとうございます。

ちょっと早いですが、よいお年を!
Posted by くま at 2011年12月22日 21:04
今年の挨拶はもう少し後にして・・・

こういうのはどうだろうかね、
「永遠に死なない」のと「時が来れば死ぬ」のどちらかを選べるとしたら普通は「死ぬ」を選ぶのでは?
Posted by toshifumitakizawa at 2011年12月23日 13:25
明けましておめでとうございます。
今年も実り多き年でありますようお祈り申し上げます。

ところで、「永遠に死なない」と「時が来れば死ぬ」…
たしかに、不死に不老のおまけがくっついていたとしても、私ならその孤独に耐えられそうにもありません。しまいには、何で「生きているのか」なんて悩み出しそう…
きっと「時が来れば死ぬ」を選ぶでしょう。

でも、(自殺ではありませんが)「死ぬときを選べる」のと「いつ死ぬかは分からない」のと、選べるとしたらどうでしょう?

きっと私なら悩みます。

Posted by くま at 2012年01月01日 22:02
それは「何時選べるのか?」を具体的に想定してみると各自自ずと答えがでるのではないでしょうか。

生まれる前に選べるのか、生まれて直後に選べるのか、幼児期、思春期、区分はいろいろ、老年期になってからだとどうだろうか?

意外と悩まないのではないだろうか?
Posted by toshifumitakizawa at 2012年01月02日 02:15
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