「商人が船乗りに向かって、お前のおやじは何で死んだかと尋ねたら、船乗りが、父も祖父も曽祖父もみんな海で死んだと答えた。商人が驚いて、それでもお前は海に出るのが怖くないかと聞くと、今度は船乗りの方で、お前のおやじや祖父さんや曽祖父は、どこで亡くなったかのかと問い返した。そこで商人が、みんなベッドの上で死んださと答えたら、船乗りはびっくりして、それでもお前さんは、ベッドに寝るのが怖くないかと云った。」百鬼園先生幻想録 内田百閨@より。
ある日いつものようにスカッシュの練習を、少しだけハードにしていた時のことだ。
「のどが渇いてひっつくなあ」と思いながらも、もう少し続けようと、ひと段落するまで続けてコートの外に出ると、声が出なくなっていた。
水を補給すると出るかと思い、水を飲むとやけにむせるのだった。
「さてどうしたのだろう?」と思った。
2015年03月14日
2015年03月06日
ガン



4日目には私の食道を通過して胃の中に納まった。
胃の中に納まった写真は撮影できなかった。
代わりに胃カメラを飲んだ。
胃はなんでもなく、
早い話が食道癌だった。
だから皆さんへ。
3月のバーーベキューは延期にして、夏のフレンチで再び会う事にしましょう。
私は極めて元気なので心配には及ばない。
暫し放射線治療などの必要から、埼玉病院が行きつけの店になる予定である。
少し語り口を童話ファンタジー風に変え・・・
私は、このほど、サー.ナゾーリンゲン博士のご助力により、緩き禁酒法同盟の赤き超新星である、アルカポネールの天敵たる、エリオット男爵の発案によるところの、謎の権威ない、「ガンと闘う売れないアニメ監督」というけっこうな称号を拝領する次第となった。
次回「食道ガン」へと続く。
2015年03月05日
アメリカンスナイパーを見てきた
2015年03月02日
2015年02月18日
みんなの神社
2015年02月15日
バレンタイン商戦
に乗っかった娘からもらったチョコレートが美味かった。
赤いつやつやのハートのトリュフやら、四角いトリュフやらもおいしかったのだが、それのおまけに引っ付いていた、あまりおいしそうでないやつ・・・そう砂糖づけのドライフルーツにちょこりとチョコレートがひっついたよくある不味そうな・・・なんていったっけあれ・・・が食べてみたら感動的に、天才的に、夢の様に美味かったので新発見である。
こういうのを作ったお姉さんか、お兄さんか、おばさんか、おじさんか、おじいさんか、おばあさんかは知らねども・・・まさに天才である。
くれた娘に感謝したい。
赤いつやつやのハートのトリュフやら、四角いトリュフやらもおいしかったのだが、それのおまけに引っ付いていた、あまりおいしそうでないやつ・・・そう砂糖づけのドライフルーツにちょこりとチョコレートがひっついたよくある不味そうな・・・なんていったっけあれ・・・が食べてみたら感動的に、天才的に、夢の様に美味かったので新発見である。
こういうのを作ったお姉さんか、お兄さんか、おばさんか、おじさんか、おじいさんか、おばあさんかは知らねども・・・まさに天才である。
くれた娘に感謝したい。
2015年02月11日
新説いや珍説ほうかんるり

うかんるりの続編である。
「はうかんるり」だとすると「ほうかんるり」と読むので「宝冠瑠璃」を当てたがる向きが多いようだが、それはそれでいかしている・・・と思うのだが、鉱物マニアとしては違う説を唱えてくなる。 昔から中国には和田玉(ほうたんぎょく、ホウテェンギョク)と呼ばれる玉がある。
和田とはシルクロードのちょいあちら寄り。
ギョクとはいうもののヒスイではなく、軟ギョク(ネフライト)に属するものだが、和田玉に限っては高値で取引されてきたもので、加工品は宝物殿に置かれるような価値のある石なのである。 今でも、軟ギョクのくせに高価なので私は決して買おうとは思ったことがない。
瑠璃とはラピスラズリのことで、アフガニスタンで取れる青い石の王様である。
あちら方面では、アフガニスタン、パキスタン、などタンが地名に引っ付く場合が多い。
アフガンにもホウタンという場所が無いともかぎらん。
古くはガラスを瑠璃と言ったり、宝石の事を瑠璃と言ったりしたので。ギョクも瑠璃のうちである。
でたらめとしても、作者とは教養をひけらかしたいものである。
くらもちの皇子のでたらめに和田の瑠璃(ほうたんのるり)「ほうかんるり」と言ってしまった、事にした。
・・・というのはいかしていないだろうか・・・と思ったのである。
「アブラカダーブラ」なんていうのも「アブラハムカダフブラーハム」なんてところかと思うのだ。
でたらめも、元がある。
余談だが、中国には烏丸(ウカン)という地名があるようだ。 烏丸瑠璃かもしれないし。
日本にも有漢町というのがあるらしい。 その辺にお住まいの方はおられぬだろうか。
ウカン民族が流れて来たのかも知れないなどと想像してしまうのである。
私は歴史家ではないので単なる思い付きである。